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第1回瀬戸内の偉人紹介

第1回瀬戸内の偉人紹介

第1回瀬戸内の偉人紹介。
 


画像 setouchifinder.comより引用

こんにちは、SELECT SHOP ROOT135°スタッフの野嶋です。

SELECT SHOP ROOT135°は豊かな自然を有する「瀬戸内」で丁寧に生まれた“価値”を世界に発信するセレクトショップということでして。

瀬戸内に面している県出身の偉人(偉業を成し遂げた人・スポーツ選手・芸術家・アーティスト・地域社会のために頑張ってる人)の紹介をして行きたいと思います。

目次

偉人紹介

さいごに

偉人紹介

まず記念すべき第一回は、勝手ながら私の出身地、岡山県出身の日本女子初のオリンピックメダリスト!人見絹江(ひとみきぬえ)さんについて紹介したいと思います。


画像 wikipediaより引用


 昨年2020年に開催予定だった東京オリンピックは新型コロナウイルスよって今年に延期になってしまいしたが。きっと素晴らしい盛り上がりを見せてくれるでしょう。

では早速ですが、人見絹江さんの紹介を始めさせて頂きます。

 1907年(明治40年)1月1日に産まれました。幼少期の頃から魚とりや鬼ごっこをして遊び、友人は女の子よりも男の子が多かったそうです小学生になっても「天下取りゲーム」でいつも一番で男児を悔しがらせたり、下校の際に2階から飛び降りて下校するなど相変わらず活発な少女であったそうです。

一方学業成績の方もとても優秀でクラスでは級長を務めていたそうです。

小さいころから活動的でスポーツ好きだった人見絹枝さんは、岡山高等女学校入学とともにテニス選手として活動していたそうです。


画像 wikipediaより引用

 岡山高女1年生のとき、中国女子庭球大会で中国地方最強と言われた岡山女子師範学校に決勝で敗れたて、2年生の年に宿敵の女子師範に勝利して、母校に優勝旗をもたらしたそうです。

このときの人見の活躍は広く知れ渡ることになり、4年生のときに陸上競技大会への出場の話が入り人見絹枝さんは岡山県中等学校陸上競技大会に出場し、走り幅跳びでなんといきなり当時の日本記録をこえる4m67を跳んで優勝してしまいました。

記録は非公認でありましたが、この大ジャンプがきっかけで人見絹江さんの陸上競技選手としての道がはじまるのでした。


画像 wikipediaより引用

 その後も数々の好記録を打ち立てた人見絹江さんでしたが、当時は女子のスポーツについてはまだまだ理解がない時代だったので、周りからは冷たい目で観られていたといいます。

卒業後は「女子体育の母」とよばれる二階堂トクヨさんの誘いで体育教師となりますが、陸上大会に出場すれば多くの種目で優勝し日本新記録を沢山出していきました。


画像 wikipediaより引用

 それから人見絹江さんは大阪毎日新聞社に入社し運動課に配属されて、その後も数々の国内、国外の大会の様々な種目で優勝を連発していきました。

1928年(昭和3年)アムステルダムオリンピックが開催され人見絹江さんは女子の個人種目全部(100m、800m、円盤投、走高跳)にエントリーします。


画像 wikipediaより引用

特に100m走には並々ならぬ思いで挑んで行きましたが準決勝で敗退してしまいこの結果があまりにもショックだったので食事も喉を通らず、泣きはらして一睡もできなかったそうです。

このまま負けて日本に帰れないと思った人見絹江さんは、800m走での雪辱を誓ったそうです。

そして800m決勝戦ではドイツのリナ・ラトケ選手との激闘の末に惜しくも2着(2分17秒)で日本人女子初のオリンピックメダリストとなりました。


画像 wikipediaより引用

この決勝では、リナ・ラケト選手、人見絹江さんともゴール後に失神してしまうほど壮絶なレースだった為に次のオリンピック以降女子800mは一時的に除外されることになりました。

オリンピック後、日本女子初のメダリストとして後輩の育成や講義など多忙でしたが、陸上競技大会があれば出場して好成績を出していきました。

しかし鉄人のような活躍を見せていましたが、半月で5つの大会に出場するなど無理をしていたために体調を崩しても休まず新聞社の仕事もこなしていたために胸膜炎と肺炎になってしまいました。

1931年(昭和6年)8月2日24歳という若さでこの世をから去ってしまいました。

あのアムステルダムオリンピック800m決勝戦からちょうど3年後の日でした。

師・二階堂トクヨは「スポーツに絹江を殺したのではなく。絹江がスポーツに死んだのです」という言葉を婦人公論に寄せたそうです。

そんな人見絹江さんは、人前で太ももをさらすなど日本女性にはあってはならないという時代に真っ向から立ち向かっていき「いくらでも罵れ!私はそれを甘んじて受ける!しかし私の後から生まれてくる若い女子選手や日本女子競技会には指一つ触れさせない!」と言葉を残し、その言葉通りその遺志はその後の選手たちに引き継がれ、飛躍的な発展を見せていくことになりました。

さいごに

以上、今回の瀬戸内の偉人は日本女子初のオリンピックメダリスト「人見絹江」さんのほんの少しですがご紹介させていただきました。
 
世間・時代・自分自身と真っ向に立ち向い、そして誠実に生きていた、人見絹江さん本当に尊敬できる方でしたね、私事ではありますがよく友人が私に「人間どんな時も七難八苦を楽しんでこそ人の道」と鼓舞してくれます。人見絹江さんの事を調べていたら改めてそう感じました。

これからも瀬戸内の偉人をご紹介していきたい思いますのでよろしくお願いいたします。
 

資料引用元
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E8%A6%8B%E7%B5%B9%E6%9E%9D


 

2021-05-27 17:28:56

瀬戸内の偉人